最終更新日:2007年8月25日
『世界がキューバ医療を手本にするわけ』

 『世界がキューバ医療を手本にするわけ』
  吉田 太郎著
  築地書館刊 2007.8初版
  価格:¥2,000+税  四六判 / 267p
  ISBN:9784806713517

気になる本
2007.8.25 / No.488
■したたかな小国キューバは“医療大国”

 マイケル・ムーアの新作『シッコ SiCKO』が8月25日、一般公開された。“医療先進国”であるはずの米国で、その先進医療を受けられなかった911の消防士らはキューバに向かい、無料で治療を受ける。なぜキューバなのか。キューバは“後進国”ではなかったのか。この疑問を解き明かした『世界がキューバ医療を手本にするわけ』がこのほど出版された。著者は、キューバの有機農業を日本に紹介してきた吉田太郎氏。キューバの情報に関する日本現状に、著者は「情報遮断」の状態にある。その点、英語やスペイン語のキューバ情報は豊富であり、キューバが自ら医療情報を発信しているという。なぜマイケル・ムーアはキューバを目指したのか。ひとつの回答がここにある。

 2006年11月、キューバ友好円卓会議の招請で若い女医さんのアルレニス・バロッソさんが来日し、キューバの医療現場の声を直接聞くことができた。彼女は、パキスタン北部地震救援支援の体験とファミリー・ドクターとしての経験を伝えた。長野県農業大学校で教えている著者は専門外にもかかわらず、医療制度の崩壊したイギリスがモデルとする「この国の医療制度の内情を見てみたい」とキューバを訪れ、この本をまとめたという。

 キューバの医療は、ファミリー・ドクター制度と呼ばれる地域医療が基本にある。住民700人から800人に一人の医師が初期医療(プライマリ・ケア)を担っている。さらに、10から12のファミリー・ドクターを束ねる地区病院を単位に、専門医やソーシャル・ワーカーなどからなるベーシック・ワーク・グループが支援する体制が作られている。このプライマリ・ケアの結果、乳児死亡率は米国をしのぐレベルにまで減少している。入院患者も減少し、在宅医療が増加、平均年齢は先進国並みである。この根底には、コミュニティが支える医療福祉という考え方があるという。このプライマリ・ケアには、現代的な医療とともに、鍼灸や指圧、ヨガ、ハーブの利用などの代替医療も使われている。マクロビオティックも注目されているという。こうしたキューバの医療体制には、世界保健機構(WHO)も太鼓版を押している。人口1100万の小国キューバは“医療大国”でもある。

 キューバ憲法第9条は、国家の医療保障を規定し、その第50条では国民が無料で医療を受け、健康保護の権利を規定している。その結果、プライマリ・ケアはもちろん、がんの治療や心臓手術に至るまで無料である。こうした医療体制は都市部のみならず、山奥の過疎地域に至るまで全国をカバーしている。こうしたキューバの医療体制は、独自の医師養成過程が支えている。カリキュラムの18%は地域医療の現場実習に充てられ、医師としての最初の2年間はファミリー・ドクターとして勤務するという。

 こうしたキューバ医療は、医療外交として第三世界への医療支援として積極的に展開されている。ラテンアメリカはもちろん、2005年10パキスタン北部の大地震や、2006年5月のジャワ島中部地震に医療チームを長期にわたって派遣している。しかし、本来はその地の医師が担うべきであるということから、2000年にラテンアメリカ医科大学がキューバに設立され、27カ国から1万人の留学生を受け入れている。この医学校では、学生は各国の無医地区など貧しい地域から募集され、滞在費を含めて一切の費用をキューバ政府が負担している。医師を志すも高額の学費を払えず断念した米国からの留学生もいる。

 ソ連の解体に伴うキューバ経済の壊滅的な崩壊が、自立せざるを得なかったキューバに有機農業を選択させた。同時に、米国との軍事的な対峙の最中、軍事費を削ってまで医療と社会福祉、教育に予算をつぎ込み、国民の健康維持を図っている。経済崩壊により、医薬品の輸入がストップする中、インターフェロン、B型肝炎ワクチン、エイズ治療薬などを独自に開発し、輸出するまでになっている。欧米の医薬品が、特許を理由にして高額で販売されている状況と対照的に、こうして開発された多くの医薬品が第三世界を中心に、安価に供給されている。キューバはバイテク立国に成功したのだという。

 こうしたキューバの医療外交の成功の裏には、ベネズエラの存在が大きいと著者はいう。米国主導の米州自由貿易地域(FTAA)に対抗して、キューバとベネズエラは2005年4月、米州ボリバル代替統合構想(ALBA)を作り、ボリビアが2006年4月に加わっている。ベネズエラは世界第5位の産油国である。キューバの経済成長や医療外交は、資金的にベネズエラに多くを負っているという。しかし、キューバの医療外交、医療支援が、草の根の貧しい人々に無料で、献身的に直接行われていることが、ラテンアメリカの価値観や社会構造に揺さぶりをかけている。このことがキューバへの経済封鎖を続け孤立化を図っている米国にとっての脅威であり、逆に米国が孤立化している、と米国の研究者は分析しているという。これは、90年代の米国とIMFによる過度の民間開放介入と経済の締め付けにより、中南米の多くの国で格差が拡大し、疲弊し、結果として多くの中南米の国々の“米国離れ”を招いていることと表裏をなしているだろう。そこに、小国キューバのしたたかな生き残りをかけた“意地”が見てとれる。しかし、その“意地”の具体的展開は虐げられた貧しい人びとにとって歓迎すべきことである。キューバの政治体制を「自由がない」と切って捨てることが簡単である。そうした見方から、著者が見聞きしたことを否定することも簡単である。しかし、キューバの視座が人びとの側にあり、人びとから歓迎されているということは、そうしたバイアスが意味のないことを示しているといえるだろう。

 キューバとて格差の拡大と失業青年が増え、そうしたところから倫理感の喪失が生じ、革命は内部から崩壊する。「米国は決して、われわれを滅ぼすことはできない。だが、われわれは自滅できる」とカストロは警鐘を鳴らしている。昨年12月、ある集会で吉田太郎さんはアルレニス・バロッソさんに、「タクシー運転手のように何十倍も稼ぐことができるのに、なぜ医師を続けているのか」と、少々意地の悪い質問をした。彼女は「医者はビジネスではなく職業だ」と答えている。日本では死語となった感のある「医は仁術」だが、キューバでは生きた言葉としてあるようだ。ハバナ医科大学の卒業式のホールには、キューバ革命に参加しボリビアで戦死した医師でもあったチェ・ゲバラの遺影が掲げられているという。