最終更新日:2020年10月29日
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2020.10.29 No.1087
■私たちの農と食を取り返す 戦後75年の抵抗とその先の対抗軸を考える
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中山間地の田んぼでイネを収穫する(2015年=長野県)

 コロナウイルス禍に象徴されるように、新たな時代に入ったかのように感じます。一時よりは「緩和」されたかに見える外出自粛が続く中で、すぐに食べられるお手軽な加工食品やカット野菜が売れているといいます。昨年10月には日本でもゲノム編集食品が解禁され、米国から始まった代替肉のような代替食品も増えているといいます。加工食品は食品ロスを減らすという賛成論もあるが、私たちの食はどこへ行こうとしているのでしょうか。そして、その食を支える日本の農はどこへ向かおうとしているのでしょうか。真っ当な農と食を取り返すには、私たちはどうすればいいのでしょうか。このほど刊行された『農と食の戦後史─敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)が、この疑問に、あるいはその先への対抗軸を示しています。

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  『農と食の戦後史─敗戦からポスト・コロナまで』
大野和興・天笠啓祐[共著]
緑風出版 2020年10月10日
四六判上製/188頁/1800円
ISBN978-4-8461-2018-4

 『農と食の戦後史─敗戦からポスト・コロナまで』は、農業現場で長年取材されてきた大野和興さん(農業ジャーナリスト・日本消費者連盟共同代表)と、遺伝子組み換え食品の問題など消費者の立場から発言してきた天笠啓介さん(ジャーナリスト・市民バイオテクノロジー情報室代表)という、50年以上にわたり日本の農と食の現場を見て、立ち会ってきた二人のジャーナリストの対談をまとめたもので、戦後75年の農と食を総括しようという意欲的な内容となっています。《戦後75年の農と食の総括》という、ある意味「大風呂敷」を広げたようにも見えますが、この75年の農と食を俯瞰的に見ることで、内実がスカスカになりつつあるといってもよい私たちの農と食の現実が浮かび上がってきます。手軽に食べられる添加物で作られる流行りの食品の数々や、世界的な農薬規制の動きの中で、それでも国内的には農薬規制を緩和する日本の農業政策は、ある日突然に出てきたものではなく、戦後75年の積み重ねの上に出来上がってきたものだと、ハードカバーの一冊から思い知らされます。

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天笠啓介さん(左)と大野和興さん(右)(提供:日本消費者連盟)

 大野さんは、敗戦直後の日本の農村は《一瞬でしたが輝いていた》といいます。戦後「民主化」の中での農地解放には「農業技術の民主化」の側面があったとも指摘します。地主に独占されていた農業技術が、農地解放により、自作農となった小作農が、自分の農地でどのような農業をするかという自由を得て農業の主体となる動きが出てきたのだといいます。しかし、日米安保体制という軍事的な安全保障は、その反面、食の安全保障を放棄したことだと指摘しています。その結果、敗戦後得られた主体的な農業は、政治に翻弄されてきたのだといいます。コメは守ったものの、米麦二毛作で自給していた麦を、米国の余剰小麦にその座を売るかのような麦価切り下げで生産量を減らし、味噌や醤油の原料である大豆も米国からの輸入へと移行するように政策的に誘導されてきたといいます。しかし、「コメ余り」は止まず、集落に連帯責任を負わせるような減反政策が導入されてきました。

 「現在では、農業技術の主体が農民から資本になってきた」と、大野さんは指摘しています。農家を支えるセーフティネットでもあった食糧管理制度(食管制度)が、WTOの発足する1995年に廃止され食糧法に移行しています。時を同じくして、遺伝子組み換え作物の商業栽培が本格的に始まり、バイオテクノロジーという企業が主導権を持つ農業へと大きく動いたことは、農と食の基本的な部分が資本に奪われていく画期でもあったのは象徴的といえます。

 欧米の先進国が食料自給率を高めるような政策を採ったのとは逆に、日本の農業政策は食料自給率を下げる方向に誘導するものでした。現に、死守したはずのコメの消費量も落ち続けています。こうした食の安全保障をないがしろにする農業政策は、時として食料自給率のアップを掲げるものの、経産省の一部局に自らを位置付けたかような農水省は、一兆円農産物輸出をスローガンに輸出優先策に大きく方向を変えたように見えます。国内的には農薬規制を緩和する一方で、より厳しい農薬規制の輸出相手先の残留基準値に合致するような作り方の指導までやっているのも現実です。大規模農業への誘導策が顕著になってきています。家族農業のような小規模農業は不要という訳です。大野さんは、「いずれにしても小中規模の農業経営体は対象にならない。そこは潰していいということなのです」と指摘しています。

 こうした食の安全保障を放棄した日本の農業政策にあっては、食の多くが資本の論理による加工食品とならざるを得なくなるのは必然的でもあるのでしょう。

 これからの食の行方について天笠さんは、「食の安全だとか、食の質も悪くなっていくでしょう」といいます。「悪貨は良貨を駆逐」し「便利さの追求」がスーパーなどの野菜売り場を小さくし、加工食品が幅を利かせるのだといいます。そして、加工食品やカット野菜のように食の「工場生産が増えていけば、農家は食べものを提供するというよりも、原料を提供するいうように変化していかざるを得なくなりそうです」と指摘します。確かに大状況としてはこの通りなのでしょう。悲観的な話が続く中で、私たちの農や食に明るい未来はないのでしょうか、来ることはないのでしょうか。

 大野さんはお住いの秩父で、特別支援学校の生徒たちと一緒にやっている農園と直売所の経験から、「生身というか、身体性を持った作り方、食べ方というものは消えないしそこに依拠していくのかな」といいます。そして、「企業は大きく大きく、世界規模でやって来ますから、こちらは小さく小さくやっていくことなんだろうと思います」といいます。

 天笠さんは、味覚を狂わせ、本物と錯覚させる添加物を多用する資本の加工食品には、「家庭で素材そのものの味を受け止める消費者を多くしていかないと」といいます。その上で、「農家と消費者がつながる小さな取り組みを運動として広げていく」ことがこれからも大事だといいます。

 お二人とも、小さくとも消費者と農民の論理で、大きな資本の論理に対抗するように提起しているように思います。一人ひとりが、消費者として、あるいは農家として、天笠さんが指摘するように直接的につながっていくことが重要なのだろうと思います。日本で始まった消費者と農家がつながる提携が海を渡り、欧米では農家と消費者がコミュニティを作り直接的につながるCSAという形で拡がっています。そして、そのほとんどが有機農業で運営されています。こうした提携のような、あるいはCSAのような形で農家と消費者がつながることが、小さいとはいえ、農家の農を支え、消費者の食を確かなものにすることになります。農家と消費者が直接的につながることは、農業に伴ういろいろなリスクを消費者も負担し、消費者の食の質も確かなものにできることは、これまでのいろいろな経験からはっきりといえるでしょう。

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米国のファーマーズ・マーケット / Suzie's Farm / Flickr

 大野さんは、「時に、勝ち目のない戦争をしていると思うこともありますが、小さな実践を積み上げ、それをつないで包囲する中で変えていくしかないと思っています」といいます。今、一人ひとりが、加工食品を減らし旬のものを多くする、毎日の食べるものと内容をちょっと変えてみる、近所の農家とつながりを試みるというように、小さくとも身近なところから動き出すことが大切のように思います。

 巻末には、1945年から2020年にかけての農と食に関する年表がついています。この力作の年表は、戦後の75年の農と食が、《一瞬でしたが輝いていた》時代からどのように抑え込まれ、変質させられてきたかがよく分かります。この年表は別の見方をすれば、農民と消費者の抵抗の75年の歴史年表ともいえます。


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